現在、みなとみらいを走るロープウェイといえば「YOKOHAMA AIR CABIN」です。ところが、みなとみらいでロープウェイが走ったのは、AIR CABINが初めてではありません。
実は1989年に開催された横浜博覧会では、会場へのアクセス手段としてロープウェイが運行されていました。
では、当時のロープウェイはどこを走っていたのでしょうか。
今回は横浜博覧会の跡地を歩きながら、ロープウェイをはじめ、臨港線やHSSTなど、博覧会を支えた「交通」に注目してみます。
まずは、現在のみなとみらいと横浜博覧会の会場がどのような位置関係にあったのか、当時の航空写真と現在の地図を見比べながら確認してみます。
横浜博覧会とは
横浜博覧会が開催された1989年にも、みなとみらいにはロープウェイが運行されていました。ただし、現在のYOKOHAMA AIR CABINとはルートが異なります。

出典:国土交通省「Project PLATEAU」オルソ画像を加工して作成
現在のYOKOHAMA AIR CABINは、桜木町駅と運河パークを結んでいます。一方、横浜博覧会のロープウェイは、そごう横浜店から博覧会会場までのアクセス手段として運行していました。
では、なぜ1989年の横浜にはロープウェイが設置されたのでしょうか。その背景を知るために、まずは横浜博覧会について振り返ってみます。
横浜博覧会の概要
横浜博覧会は、横浜市制100周年と開港130周年を記念して、1989年3月25日から10月1日まで開催された博覧会です。
みなとみらい21地区は、当時は三菱重工業の造船所や埋立地が広がる工業地帯でした。現在のように高層ビルや商業施設が立ち並ぶ街ではなく、これから大きく姿を変えようとしていた場所です。
そんな場所を21世紀に向けた新しい街へと生まれ変わらせる「みなとみらい21」構想。その新しい街づくりを広く紹介する場として開催されたのが、横浜博覧会でした。
横浜博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」。さらに「新しいライフスタイル」と「子供の世界」をサブテーマに掲げ、21世紀の社会や暮らしを見据えた未来都市の姿を示すことを目指しました。
つまり横浜博覧会は、単に記念行事として開催されたイベントではなく、工業地帯だった場所を、21世紀に向けた新しい都市へと変えていく姿を実際に見せる場でもありました。

造船所のあった場所は、同じ三菱グループの三菱地所によってランドマークタワーになりました。そんな造船所の跡地は「ドックヤードガーデン」で確認出来ます
横浜博覧会の交通
69haにも及ぶ広大な会場に多くの来場者を迎えるため、横浜博覧会では、会場へのアクセスから場内の移動まで、さまざまな交通機関が用意されました。
会場の最寄り駅となる桜木町駅への集中を避けるため、横浜駅側からのアクセスも整備されました。そごう横浜店からはゴンドラが運行されたほか、会場から離れた場所に駐車場を設け、そこから船や電車、バスなどで来場者を会場まで運ぶ仕組みも用意されました。
さらに、広い会場内の移動手段として「HSST(磁気浮上式鉄道)」やサークルバスなども運行されていました。
このように、陸・海・空をさまざまな乗り物で結んだ横浜博覧会は、いつしか「乗り物博」とも呼ばれるようになりました。
今回は、その中でも現在の横浜に残る痕跡を実際に歩いて探すことができそうな、次の3つの交通機関に注目します。
- ゴンドラ(ロープウェイ)
- 横浜博覧会臨港線(鉄道)
- HSST(磁気浮上式鉄道)



これら以外にも、ヘリコプターやクルーズ船など、空から海までさまざまな交通手段が活用されていました
ゴンドラ(ロープウェイ)


出典:『横浜博覧会公式記録』より一部引用・AI加工
横浜博覧会のゴンドラは、横浜駅東口にあるそごう横浜店の2階・ペデストリアンデッキから、旧国鉄高島ヤードと海上をまたぎ、横浜博覧会の会場に設けられた「ゴンドラゲート」までを結んでいました。全長は約770mです。
現在のYOKOHAMA AIR CABINが桜木町駅と運河パークを結んでいるのに対し、横浜博覧会のゴンドラは横浜駅東口から博覧会会場へ向かうアクセス手段として運行されていました。
所要時間は約2分30秒。料金は大人500円、子供300円でした。期間中の利用者数は305万1,702人にのぼり、1日平均では約15,977人が利用しました。



YOKOHAMA AIR CABINは大人1,000円、子供500円なので、それと比べると良心的?
現在のそごう横浜店からゴンドラの跡を探す


写真:そごう横浜店 風の広場
現在のそごう横浜店2階には、「風の広場」と呼ばれる広場があります。かつてここからゴンドラが出発していました。


写真:横浜博覧会側のゴンドラゲートの現状
一方、横浜博覧会の会場側に設けられていたゴンドラゲートは、現在ではタワーマンションの敷地内となっています。
当時の施設を直接確認できるような痕跡は残っておらず、現地から博覧会当時の様子を想像するのは難しい場所になっていました。


出典:国土地理院 1988年空中写真、国土交通省「Project PLATEAU」オルソ画像を加工して作成、写真:筆者撮影
そこで、かつてゴンドラが走っていた方向にカメラを向けてみました。
当時は高島ヤードや埋立地が広がっていた場所に、現在では富士フイルムやソニーなどの高層ビルが建ち並んでいます。
約30年余りの間に、この場所の景観が大きく変化したことを実感できます。
横浜博覧会臨港線


出典:国土交通省「Project PLATEAU」オルソ画像を加工して作成
横浜博覧会では、会場と周辺の観光地を結び、来場者の回遊性を高めるために「横浜博覧会臨港線」が運行されました。
運行区間は日本丸駅から山下公園駅までの約2.1km。博覧会会場と山下公園を鉄道で結んでいました。
桜木町駅から運河パークまで歩いたことがある方なら、ここでピンとくるかもしれませんが、現在「汽車道」と呼ばれている遊歩道には、当時の線路が残されています。


写真:汽車道にある港二号橋梁と高島線線路跡
この線路は、かつて高島線(通称・横浜臨港線)として使用されていた鉄道の廃線跡です。横浜博覧会臨港線は、この既存の線路を活用して運行されました。
高島線はかつて貨物輸送に使われていた路線で、電化されていなかったため蒸気機関車が貨車を牽引していました。現在の「汽車道」という名前にも、こうした鉄道の歴史が残されています。



横浜博覧会臨港線は電車ではなく、ディーゼルカーで運行していました
博覧会臨港線の駅跡を探す


写真:日本丸駅のあった場所
横浜博覧会臨港線には、日本丸駅と山下公園駅が設けられていました。日本丸駅があったのは、現在の日本丸メモリアルパーク周辺です。
現在の帆船「日本丸」も、横浜博覧会を契機としてこの場所に移されました。博覧会をきっかけに整備された場所を、かつての臨港線が走っていたことになります。


写真:山下公園駅のあった場所
終点の山下公園駅は、現在の横浜マリンタワー付近に設けられていました。
駅は高架上に設置されていましたが、博覧会終了後に撤去されました。一部は遊歩道として活用されていますが、現在では駅の面影を確認することはできません。
現地にも、ここに山下公園駅があったことを示す案内などは確認できませんでした。



現在も運行していたら、日本丸やランドマークタワーから山下公園を結ぶ観光列車になっていたかもしれません
横浜博覧会の終了後
横浜博覧会が終了すると、臨港線の営業も終了しました。使用されていた車両はその後、岩手県の三陸鉄道へ譲渡され、2007年頃にミャンマー国鉄へ売却されました。
車両はレトロ調な車両で、豪華な内装と大きな前照灯が特徴でした。三陸鉄道の歴代車両の写真から、横浜博覧会臨港線で使用されていた車両の姿を確認することができます。
また、当時の横浜博覧会臨港線を撮影した映像も残されています。実際に走行している様子を見てみたい方は、こちらの動画もぜひご覧ください。
HSST


出典:『横浜博覧会公式記録』より一部引用・AI加工
横浜博覧会の会場内では、HSSTと呼ばれる磁気浮上式の新交通システムも運行されていました。HSSTは「High Speed Surface Transport」の略で、磁気の力で車体を浮上させて走行する交通システムです。
磁気浮上式のリニアモーターカーとして、国内初の営業運転を行いました。



HSSTの技術はその後も発展し、2005年に「リニモ」が開業しました。横浜博覧会から16年後、HSSTをルーツとする磁気浮上式の交通システムが、営業運転を始めたことになります
車両自体は時速200kmの性能を持っていましたが、美術館前駅からシーサイドパーク駅までの約515mという短い区間での運行だったため、最高速度は時速42kmでした。2両編成で運行されていました。
料金は大人600円、子供300円。期間中の利用者数は126万1,522人で、1日平均では約6,605人が利用したことになります。
現在のみなとみらいから跡地を探す


出典:国土交通省「Project PLATEAU」オルソ画像を加工して作成
HSSTが走っていたのは、美術館前駅からシーサイドパーク駅までの区間です。「シーサイドパーク」は当時の呼び名で、現在の臨港パークにあたります。


写真:美術の広場
美術館は横浜博覧会の一施設として建設され、博覧会終了後の1989年11月3日に、現在の横浜美術館として正式に開館しました。みなとみらい21地区の先行開発施設の一つです。
HSSTの駅があったのは、現在の「美術の広場」付近です。しかし、現在の現地には、ここにHSSTの駅があったことを示すものは確認できませんでした。


写真:筆者撮影/挿入画像:『横浜博覧会公式記録』より一部引用・AI加工
もう一方のシーサイドパーク駅は、現在の臨港パークとパシフィコ横浜の間あたりにありました。
こちらも、HSSTの駅があったことを示すような痕跡は確認できませんでした。
コスモクロック21ー横浜博覧会のシンボル
コスモクロック21は、横浜博覧会のシンボルとして建設された大観覧車です。
横浜市制100周年にちなんで直径100mとし、台座を含めた高さは105m。当時としては世界最高の高さを誇る、文字通りの「大観覧車」でした。
さらに、名前の「クロック」が示す通り、観覧車そのものが巨大な時計になっていました。「21」は、21世紀に向けた横浜の新しい街づくりを象徴する数字です。
料金は800円。期間中の利用者数は267万6,992人で、1日平均では約1万4,016人が利用したことになります。
会場へのアクセス手段として運行されていたゴンドラの利用者数が305万1,702人だったことを考えると、それに迫る数字です。
コスモクロック21は博覧会でも特に人気の高い施設で、開催当初から1~2時間待ちとなる日も多く、混雑時には3~4時間待ちになることもあったそうです。
横浜博覧会を訪れた人にとって、コスモクロック21は単なる観覧車ではなく、博覧会を代表する人気施設だったことが分かります。
巨大な時計を備えた観覧車


図:資料をもとに筆者作成(AI使用)
「クロック」の名の通り、コスモクロック21は観覧車そのものが巨大な時計になっていました。
60台のゴンドラを支える支柱には照明が取り付けられており、1分間かけて順番に点灯していきます。60秒ですべての支柱が点灯すると一斉に消灯し、中央に設置されたデジタル時計の分表示が1分進む仕組みになっていました。
つまり、観覧車の周囲を動く光が「秒」を、中央のデジタル表示が「分」と「時」を示していました。
観覧車に乗って楽しむだけでなく、遠くから見ても現在時刻が分かる、まさに「クロック」だったというわけです。
横浜博覧会終了後、現在の場所へ
コスモクロック21は、横浜博覧会の終了後に撤去される予定でした。しかし、博覧会での人気が高く、存続を求める声が相次いだことから、コスモクロック21は残されることになりました。
また、横浜博覧会で営業していた子供共和国(遊園地)の一部も残され、1990年には「コスモワールド」として再オープンしました。


出典:国土交通省「Project PLATEAU」オルソ画像を加工して作成
ただし、現在のコスモクロック21がある場所は、横浜博覧会当時の設置場所とは異なります。当時の設置場所は、現在の日本丸メモリアルパークのすぐ近くにあたる旧25街区でした。
その後、みなとみらい21地区の開発が進むにつれて周辺の土地利用も変化し、コスモクロック21は運河を挟んだ対岸、新港地区の15街区に移設されることになりました。
1997年から解体・移設作業が行われ、1999年には現在地でリニューアルオープン。新たに整備された「ワンダーアミューズ・ゾーン」の中核施設として、再び営業を始めました。
こうしてコスモクロック21は、横浜博覧会の終了とともに姿を消すことなく、場所を変えながら現在まで残りました。
博覧会の遊園地から「よこはまコスモワールド」へ


写真:コスモワールドとコスモクロック21
現在、コスモクロック21が立っているのは、よこはまコスモワールドの園内です。
横浜博覧会で営業していた遊園地の一部は、その後も形を変えながら引き継がれ、現在のよこはまコスモワールドにつながっています。
1997年からコスモクロック21の解体・移設作業が行われ、1999年には新設された「ワンダーアミューズ・ゾーン」の中核アトラクションとして、現在の場所でリニューアルオープンしました。
移設に伴ってネオン管の配置や光のパターンも更新され、毎時15分ごとにネオン管が流れるように点灯する「打ち上げ花火」のようなイルミネーション演出や、季節に応じたライトアップも加わりました。



このリニューアルを機に、すべてのゴンドラに冷房が完備されました
その後、2016年3月には大規模なリニューアルが行われ、時計表示機やイルミネーションなどがフルカラーLED化されました。
横浜博覧会のシンボルとして誕生したコスモクロック21は、移設やリニューアルを重ねながら、現在もみなとみらいを代表するランドマークとして残っています。
博覧会のその後
1989年10月1日に横浜博覧会が閉幕すると、博覧会のために整備された施設の多くは姿を消しました。
一方で、すべてがなくなったわけではありません。
横浜博覧会をきっかけに整備された横浜美術館や日本丸メモリアルパーク、移設されながら現在も残るコスモクロック21など、当時の面影を現在の横浜に見ることができます。
また、博覧会の会場だった場所は、その後「みなとみらい21地区」として本格的な都市開発が進み、現在では高層ビルや商業施設、ホテルなどが建ち並ぶ横浜を代表する観光・ビジネスエリアへと変貌しました。
そして2021年には、桜木町駅と運河パークを結ぶYOKOHAMA AIR CABINが開業。ルートこそ1989年のゴンドラとは異なりますが、みなとみらいに再びロープウェイが登場しました。
1989年の横浜博覧会から30年以上。街の姿も、そこを走る交通も大きく変わりました。しかし、博覧会をきっかけに始まったみなとみらいの街づくりは、確かに受け継がれています。
今回、実際に現地を歩いてみると、姿を消したものだけでなく、形を変えながら残っているものもあることが分かりました。現在のみなとみらいを訪れた際には、そんな1989年の横浜博覧会の面影を探してみるのも面白いかもしれません。
参考資料
- 横浜博覧会公式記録
- 国土交通省「Project PLATEAU」
- 国土地理院 1988年空中写真
- 三陸鉄道公式サイト「過去の車両紹介」
- はまれぽ.com 「横浜を代表する遊園地のコスモワールドの昔と今を教えて!」

