アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の舞台のひとつとして登場する、神奈川県の金沢八景。作中では、主人公・後藤ひとり(ぼっちちゃん)の自宅がある地域として描かれています。
金沢八景駅を中心に聖地が点在しており、巡るだけなら1時間ほどで回ることができるコンパクトなエリアです。
ただ、聖地巡礼だけではあっという間に終わってしまうのも事実。
実は金沢八景は、江戸時代から「八つの名景」として知られた風光明媚な地であり、その歴史的背景を意識して歩くと、まったく違う景色が見えてきます。
現在では埋立や市街化が進み、当時の景観は多くが失われてしまいましたが、一部では今も“八景の記憶”を感じられる場所が残っています。
本記事では、『ぼっち・ざ・ろっく!』に登場する金沢八景の聖地4カ所と、かつての金沢八景の名景4カ所をあわせて紹介します。今回はその名も「ぼっち・ざ・はっけい」。
聖地巡礼の地図(Googleマップ)も掲載しているので、実際に訪れる際の参考にしてください。
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金沢八景駅

第6話 20:45辺り
金沢八景駅は、第6話でぼっちちゃんと廣井きくりが解散するシーンの舞台として登場します。駅前の描写は実際の風景に近く、アニメでもかなり忠実に再現されています。
アニメ中の時計をよく見ると、2人が別れたのは19時20分。夏の夕暮れの空気感と、路上ライブを終えた後の時間経過が丁寧に表現されています。
マンガ原作では、次の琵琶島神社ではなく、金沢八景駅で廣井きくりと出会う構成になっています。アニメと漫画で導線が異なるので、聖地巡礼の際は読み比べると発見が多い場所です。
また金沢八景駅はアニメ第1話にも登場しています。現地で確認した際は一度「ここで合っているのか?」と不安になりましたが、帰宅後に改めて調査したところ、実際の構造を踏まえた非常に巧妙なカットであることが判明しました。
この第1話のシーンについての詳しい考察は、記事最後の「おまけ」にまとめています。興味のある方は、ぜひそちらもご覧ください。
琵琶島神社

第6話 2:55辺り 隣にあったローソンは撤退して、集合住宅になっています
琵琶島神社は、第6話でぼっちちゃんがライブのチケットノルマに頭を抱えるシーンの舞台です。アニメではここで廣井きくりと初めて出会う場面として描かれています。
一方で、マンガ原作ではこの琵琶島神社のシーンは登場せず、アニメオリジナルの構成です。特徴的な神社のロケーションを選んだ制作陣のリサーチ力に感心させられます。

「特徴的な場所をよく見つけてきたな…」と制作側のロケハン力に感服です。


第6話 1:05辺り 友人に再現してもらいました
隣にあったローソンは撤退してしまい、現在では集合住宅になっています。ぼっちちゃんが、頭を抱えて座っていた階段は、集合住宅になったことにより、ブロック塀になっています。
作品当時の雰囲気を残しつつも、実際に訪れるとアニメ放映時点との景観の違いをが感じられ、聖地巡礼ならではの発見があるスポットです。
ここに来たからには、これをやらないと帰れません。
ウェーーイ、ロッキュゥーー


第6話 4:15辺り 足の方向、逆でした…
シーサイドライン下の広場


第6話10:30辺りからシーサイドライン下の広場のシーン
シーサイドライン下にあるこの広場は、第6話でぼっちちゃんと廣井きくりが路上ライブを行うシーンとして登場します。高架下という特徴的な構造がそのまま活かされており、アニメ内でも実際の風景にかなり忠実に描かれています。
マンガ原作では、金沢八景駅周辺で路上ライブをしているようですが、アニメ版ではこの場所がはっきりと特定できます。


オープニング 1:06辺り
この広場は、第6話だけでなくオープニング映像にも登場しています。
再生すると、広場のシーンから流れます。一瞬で次のカットに移るのでまばたき厳禁です
せっかくなので、私も幸せスパイラルをキメました。


忠実に再現するために、足を伸ばしておくべきでした…


第6話17:00辺り
ぼっちちゃんが路上ライブ上の視界のシーンです。次の聖地巡礼スポットである自販機がみるほど、近い場所にあります。
追浜園 跡地付近


第7話0:05辺り
アニメ第7話の冒頭シーン。後藤家へ向かう道中で、暑くてのどが渇いてここの自販機で購入したシーンから始まります。アニメでは印象的な導入ですが、マンガ原作には登場しないアニメオリジナルのシーンです。
アニメでは、自販機の左に見えた建物は、かつて存在した旅館「追浜園」。現在は廃業し、跡地はタイムズ駐車場になっています。


この地に旅館「追浜園」があった
追浜園がどのような旅館だったのかを調べるため、以下の記事を参考にしました。当時の写真やインタビューしたことがまとめられており、当時の空気を感じられる内容になっています。


要約をすると──
追浜園は、戦前から営業していた歴史ある料亭で、当時は追浜駅付近に店を構えていました。近くに追浜海軍航空隊があり、軍の関係者を中心に多くのお客で賑わっていたといいます。(航空隊基地の位置は、当記事内の「野島等の位置図」でも確認できます)
戦後になると、追浜園は現在の金沢八景寄りの場所(いまのタイムズ駐車場)へ移転し、料亭として再出発しました。建物も元は料亭造りで、旅館として使われていた部屋の多くは、そのまま個室を転用した趣のある空間だったそうです。
昭和30〜40年代にかけて、金沢八景一帯は海水浴や潮干狩りが楽しめる行楽地として人気が高まり、周囲には数多くの旅館が建ち並びました。追浜園もまた、その流れの中でどこかの時期に旅館として営業形態を切り替えた。
追浜園は“料亭から旅館へ”と時代とともに姿を変えつつ、この地域の行楽地としての歴史を見守ってきた宿。
記事に通り、金沢八景周辺の旅館は時代とともに多くが姿を消しました。実際に楽天トラベルの範囲検索でも、現在残っている宿泊施設はごくわずかです。
ただ、完全にゼロではなく、鎌倉観光や八景島シーパラダイスの拠点として利用できる宿もあります。聖地巡礼をきっかけに、これらの観光スポットを訪れてみるのもオススメです。
八つの景観
「八景」とは、八つの優れた風景を意味し、その由来は古代中国の名勝「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」にあります。瀟湘とは、湖南省一帯の水郷地域のことで、美しい山水で知られていました。
北宋時代、官僚で画家でもあった宋迪(そうてき)がこの地を題材に山水画を描いたことから、八景という画題が広まり、日本にも伝わってきました。
瀟湘八景は、
漁村夕照・煙寺晩鐘・江天暮雪・洞庭秋月・平沙落雁・瀟湘夜雨・山市晴嵐・遠浦帰帆
の八つから構成されます。
これらは「場所+情景」で構成されており、例えば「漁村夕照」は、“武陵渓の静かな漁村が夕焼けに染まる光景”を表しています。
この八景図は鎌倉~室町時代に日本へ伝わり、日本の絵画文化にも大きな影響を与えました。特に江戸時代には、浮世絵師・歌川広重がこの形式をもとに「金沢八景」を制作し、全国にその名が知られるようになります。
以下に金澤伊丹氏歴史郷土財団「歌川広重が描いた『金沢八景』のご紹介」より引用しつつ、今回訪れた各八景の概要を解説します。
- 1.洲崎晴嵐(すさきのせいらん)
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出典:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1305448
瀬戸橋を東に渡り、金沢から野島に続く砂州がやや北西へ突き出たあたりを洲崎といいます。洲崎明神や龍華寺など、古くからの社寺が点在するところです。広重は手前の筏師(いかだし)から遠くの山並みまでを詳細に描いています。画面中央にならぶ小屋は塩焼き小屋です。鎌倉時代からこのあたりでは海水を煮て塩を作る製塩業が盛んで、明治時代まで行われていました。現在でもその名残として「塩場」の地名が残っています。
出典:金澤伊丹氏歴史郷土財団「歌川広重が描いた『金沢八景』のご紹介」
https://itaminorekishi.com/2021/08/28/kanazawahistory-3 - 2.乙舳帰帆(おっつのおかえりのほ)
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出典:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1305448
野島の裏側、乙艫海岸(現在の海の公園あたり)から小柴の岬を望み帆懸船が帰ってくる光景を描いたものです。「おつとも」とは、金沢いったいの海岸線が船の鞆(とも)の形をしていたのにちなんで名付られました。平潟湾は時代が下るにつれて土砂の堆積が進み、湾の奥まで大型船が入ることができなくなりましたが、野島や乙艫の付近は、なお風を待つ待避所として利用されていました。
出典:金澤伊丹氏歴史郷土財団「歌川広重が描いた『金沢八景』のご紹介」
https://itaminorekishi.com/2021/08/28/kanazawahistory-3 - 3.平潟落雁(ひらかたのらくがん)
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出典:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1305449
※画像は加工(注釈追加)しています。
野島の内側にあたる平潟湾は一面の浅瀬で、泥亀新田の開発と同じころに塩田として開発されたところです。画面には、落雁の群れとともに、潮干狩りをする人々が描かれています。平潟周辺の漁民が余業として行っていたのでしょう。この平潟湾は、内陸の安全な浅瀬として、昭和30年代まで潮干狩りや海水浴の名所だったのです。
出典:金澤伊丹氏歴史郷土財団「歌川広重が描いた『金沢八景』のご紹介」
https://itaminorekishi.com/2021/08/28/kanazawahistory-3 - 4.野島夕照(のじまのせきしょう)
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出典:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1305449
※画像は加工(注釈追加)しています。
野島はもとは陸続きの島で、百軒の漁師があったと伝えられています。この漁村の夕暮れは美しく、野島の山頂からは遠く房総の地も望まれました。画面は、左から野島・夏島・烏帽子島を描いています。野島と夏島は、今も埋め立て地の中の小山としてかろうじて姿をとどめていますが、烏帽子島はすでにとり崩されてしまいました。
出典:金澤伊丹氏歴史郷土財団「歌川広重が描いた『金沢八景』のご紹介」
https://itaminorekishi.com/2021/08/28/kanazawahistory-3
これらの解説をもとに各地の現状はどうなっているのかを順に解説していきます。
洲崎晴嵐(すさきのせいらん)


洲崎晴嵐の撮影は、洲崎公園側から行いました。歌川広重の構図に忠実に合わせるなら、左へ向けて撮るべきですが、その方向には住宅が立ち並び、当時の面影がほとんど残っていません。
そのため、海と野島が写る位置から撮影しました。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1305448
※画像は加工(注釈追加)しています。
改めて広重の絵を見ると、手前に描かれている藁ぶき屋根は塩焼小屋、その後ろに連なる松並木は野島方面へと続く街道を示しています。遠景には、朝焼けに照らされる山並みが淡く描かれ、まさに「晴嵐」という画題にふさわしい柔らかな光の情景が表現されています。


出典:国土地理院「地理院タイル(標準地図)」※一部加工
京急金沢八景駅に掲示されていた位置図を参考に、現在の地図に当てはめてみたところ、広重が描いた範囲は図の点線部分に相当すると考えられます。
ただし、地形の改変や埋立が大きく進んでいるため、あくまで推定図としてご覧いただければと思います。
乙舳帰帆(おっつのおかえりのほ)


乙舳帰帆は、金沢八景の中でも「船が港へ戻ってくる情景」をテーマにした一景です。
広重の構図に少しでも雰囲気を寄せるため、海の公園内の松の木越しに海を望むアングルで撮影しています。写真右側に八景島が見えますが、この島は埋立によって造成された人工島で、広重が描いた江戸時代には存在していません。


出典:国土地理院「地理院タイル(航空写真1945年-49年 / 標準地図)」※一部加工
広重が描いた範囲は図の点線部分に相当すると考えられます。1945年の航空写真と現在の地図を重ね合わせてみると、八景島シーパラダイスのある八景島や、金沢工業地帯が広がる福浦は、いずれも戦後の埋立によって誕生した土地であることが分かります。
解説にありました、「金沢一帯の海岸線が船の鞆(とも)の形をしていた」という表現についてですが、鞆とは船尾の両側に張り出した部分のことです。


出典:国土地理院「地理院タイル(航空写真1945年-49年 / 標準地図)」※一部加工
1945年当時の海岸線に船の形を当てはめてみると、確かに船尾(鞆)に似た湾曲した形状が読み取れます。
もしかすると、江戸時代の海岸線は、この1945年の形と大きく変わらなかったのかもしれません。
埋立の進んだ現在では想像しにくいですが、広重が描いた乙舳帰帆は、海岸線と船の姿が調和した「入り江の風景」を捉えたものだったと考えられます。
平潟落雁(ひらかたのらくがん)


平潟落雁の撮影は、平潟橋から行いました。
「平潟」「落雁」という地名・景観名がそのまま橋の名前に残っており、名景と地名が強く結びついているエリアであることが分かります。
帰宅後に広重の絵と見比べて気づいたのですが、構図を忠実に再現するなら、もう少し左(平潟湾の奥側)に向けて撮影する方がより近くなっていました。
平潟落雁は、夕暮れの干潟に雁の群れが舞い降り、人々が潮干狩りをする様子が描かれた情景です。私が訪れた日は満潮に近い時間帯だったようで、干潟ではなく、釣り船が行き交うにぎやかな雰囲気でした。
とはいえ、現在も水深はそれほど深くなく、内陸側の安全な浅瀬であることが分かります。解説にあった「昭和30年代まで潮干狩りや海水浴の名所だった」という記述にも納得できます。
野島夕照(のじまのせきしょう)


野島夕照は、野島・夏島・烏帽子島(えぼしじま)を背景に、夕日に染まる海を描いた一景です。今回は金沢八景公園内の小高い岩場から撮影しました。
広重の構図に忠実に合わせるのであれば、視点は九覧亭(きゅうらんてい)跡付近になると考えられます。
九覧亭は江戸時代後期、金龍院内に設けられた金沢八景の展望台で、金沢八景に加えて富士山まで望めたことから「九覧亭」と名付けられました。「金沢八景」そのものの原点は能見堂(のうけんどう)とされていますが、埋立による景観悪化により、後年はこの九覧亭が人気の展望地になったとされています。
現在では、九覧亭跡から往時の景観を望むことは難しいため、金沢八景公園から撮影しています。


出典:国土地理院「地理院タイル(航空写真1945年-49年 / 標準地図)」※一部加工
地図上で野島・夏島・烏帽子島の位置関係を並べてみると、広重の視点は九覧亭跡付近に重なると推察できます。ただし、1945年の航空写真の時点で烏帽子島はすでに存在していません。
烏帽子島が消えた経緯については、以下の記事に詳しく解説されています。
要約すると──
明治45年、夏島周辺の海は日本初の軍用飛行場(横須賀海軍航空隊)を建設するために広範囲が埋立てられました。その過程で離着陸の障害になると判断された烏帽子島は取り崩されました。



実は夏島の半分も飛行場建設のために取り崩されています



ちなみに烏帽子島の跡地付近には、ベイスターズの練習施設があります
こうして見てみると、かつて存在した小島や海岸線が、軍事開発や工業地帯化を経て大きく姿を変えたことが分かります。
その変化を知ったうえで広重の描いた夕照を見ると、当時の静かな海景との対比がより鮮明に感じられます。
今回訪れた場所
おまけ 京急金沢八景駅 駅構内


引用:アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』第1話 © はまじあき/芳文社・アニプレックス
アニメ第1話では、中学生のぼっちちゃんが京急金沢八景駅で電車を待つシーンが描かれています。


電車が到着して、分かりにくくなってしまいました、、、
このシーンと同じ位置になるように撮影ポイントを探していると、ひとつ気になる点がありました。



駅構内、暗くない?
現在の京急金沢八景駅は、シーサイドラインの駅舎が改札の上にあるため、たしかに構造上“少し暗い”のは自然です。しかしながら、アニメの構図は現実の駅と明らかに異なります。
シーサイドラインは最近できた路線ではないのに、なぜこのように描いたのか? 気になって調べてみたところ、意外な理由がわかりました。


出典:国土地理院「地理院タイル(航空写真2007年 / 航空写真2019年)」※一部加工
京急金沢八景駅の上にシーサイドラインの新駅が供用開始したのは2019年。シーサイドライン自体は1989年に開通しましたが、長らく京急駅とは離れた仮駅舎で運行されていました。
つまり
中学生時代のぼっちちゃんが利用していたのは、「まだシーサイドライン駅が移設される前の金沢八景駅」だった、というわけです。
アニメの放送は2022年、原作単行本は2019年発売。おそらく原作の時間設定に合わせて“移設前の八景駅”として描いているのでしょう。
たった一つのカットでも、「時代設定」まで踏まえた丁寧な描写をしているという点に、制作側のこだわりを強く感じました。
参考文献
【歴史・地理】
・金澤伊丹氏歴史郷土財団「歌川広重が描いた『金沢八景』のご紹介」
https://itaminorekishi.com/2021/08/28/kanazawahistory-3
・知の冒険「金沢八景に残る元料亭の旅館「追浜園」に癒された!」
https://chinobouken.com/oppamaen
・金沢区大道町内会ホームページ「落語「大山詣り」と金沢八景の「烏帽子岩」」
https://daido-net.sakura.ne.jp/wp/2022/04/21/eboshiiwa
浮世絵
国立国会図書館デジタルコレクション 歌川広重『金沢八景』
【地図・航空写真(出典)】
・国土地理院「地理院タイル(航空写真1945–49年 / 2007年 / 2019年 / 標準地図)」
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html
アニメ引用元
アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』第1・6・7話 © はまじあき/芳文社・アニプレックス
マンガ原作
『ぼっち・ざ・ろっく!』(はまじあき)芳文社/まんがタイムきららMAX




